本州最西端に位置し、三方を海に囲まれ自然美にあふれた山口県。
今日はどこを旅してみようかな♪
長州藩の第3代藩主の毛利綱元が建立した黄檗宗寺院の覚苑寺(かくおんじ)。毛利家の菩提寺の一つで、幕末の攘夷戦争時には陣営が置かれたことでも知られています。
境内には100本近くのカエデがあり、長府庭園や功山寺と並び長府城下町の紅葉名所の一つ
覚苑寺は、長州藩の第3代藩主の毛利綱元が元禄11年(1698)に創建。
幕末では、勝山御殿が築城されるまでの間、第13第藩主・毛利元周(もとかね)が本拠とし、奇兵隊の陣も置かれた。明治元年の神仏分離令の影響で本堂は解体されたが、明治8年(1875)、周防三田尻(現防府市)で廃寺になっていた醍醐寺(覚苑寺と同じ黄檗宗)が解体され覚苑寺に移築された。
以後、本堂は大雄宝殿(だいおうほうでん)として、下関市の有形文化財に指定されている。乃木希典(のぎ まれすけ)像。
長府藩藩士・乃木希次の三男として、江戸の長府藩上屋敷で生まれた希典(1849-1912)。希次が藩主の跡目相続に関する紛争に巻き込まれたことにより、希典が10歳のときに長府移住の命を受けて転居。
希典は軍人で、日露戦争を勝利に導いた英雄として知られているが、少年時代は学者を志しており、父に反対されたことから家出をして吉田松陰の叔父である玉木文之進や藩校「明倫館」で学んでいる。
明治天皇崩御のあと、夫人とともに殉死。満62歳。銅像は2代目で昭和33年(1958)に建てられている。初代は昭和13年(1938)に建てられるものの、戦時中の供出により失っている。狩野芳崖(かのう ほうがい)像。
狩野芳崖(1828-1888)は、長府印内で長府藩の御用絵師・狩野晴皐の子として生まれ、幕末から明治期に活躍した日本画家。
覚苑寺周辺は和同開珎(わどうかいちん)を鋳造した長門国鋳銭所跡としても知られている。操業開始時期は和銅年間(708~715)から天平(729~749)の初めごろと考えられている。
和同開珎が鋳造された場所は全国各地にあるが、遺構が確実に埋存する遺跡としては本遺跡が唯一のものであり、国の史跡指定を受けている。城下町長府は紅葉名所が多い。紅葉散策するときは、長府庭園、功山寺、長府毛利邸をセットにすれば一日中紅葉が楽しめるだろう。長府庭園は車移動の方がいいだろうが。
功山寺近くに有料駐車場があるけど、長府観光会館の駐車場(無料)を利用した方が散策はしやすいか。お土産も最後に買えるし。覚苑寺の紅葉
旅をした日
2007年11月25日
2012年11月21日
………………………………………駐車場
有り
………………………………………周辺の立ち寄りスポット
乃木神社
城下町長府の紅葉
壇具川の桜とマガモたち
長府毛利邸の紅葉
功山寺の桜
功山寺の紅葉
………………………………………最終更新日
2025/04/15
内容追記