本州最西端に位置し、三方を海に囲まれ自然美にあふれた山口県。
今日はどこを旅してみようかな♪
嘉歴2年(1327)に創建され、長福寺と号した功山寺。長府毛利藩主の菩提寺の一つ。境内にある仏殿は鎌倉時代建立の代表的な木造の禅宗様建築で、我国最古の物です。高杉晋作が挙兵した寺としても知られ、境内には高杉晋作回天義挙銅像も置かれています。
そんな歴史深い功山寺は、春は桜、秋は紅葉の名所となります。
壇具川のマガモに誘惑されつつも、なんとか日が暮れる前に功山寺へ到着。功山寺の桜がメインだったはずだが、壇具川のマガモに主役を奪われた感じの旅だったかな(笑)
内容は壇具川の桜とマガモたちたちを見てくださいな。この山門の2階部屋で発見された室町時代制作の二十八部衆立像は下関市指定文化財で、23体が現存している。
昔から子供の遊び場だったこともあり、持ち物や手首など一部欠落しているとのこと。高杉晋作が挙兵した寺として有名な功山寺。 1864年、イギリス・フランス・オランダ・アメリカの四国連合艦隊による攻撃での敗北、禁門の変の敗走により、藩内は俗論派(保守派)が実権を握り、幕府に恭順の意を示すために攘夷派に対して粛正を始める。
身の危険を感じた晋作は九州に逃れるも、再び下関に戻ると功山寺に落ちのびていた三条実美ら卿を前に、これより長州男児の肝っ玉をご覧に入れ申すと告げ、12月16日に功山寺にてわずか84名で決起。境内にある仏殿は鎌倉時代建立の代表的な木造の禅宗様建築で、我国最古の物で国宝。
仏殿は来迎柱の上部に黒書があり、そこには「此堂元応2年(1320)卯月5日柱立」と記されているようだ。功山寺(当時は長福寺)は、室町時代の約200年間 で西国一の大名として栄華を誇った大内氏(本拠は山口)の終焉の地でもある。
弘治3年(1557)4月、毛利元就に攻められて敗走した大内氏最後の当主(第32代)義長は長福寺に入り自刃した。そして自刃したのが、この仏殿であろうと云われている。功山寺名水
国宝の仏殿周辺では湧水が多く、病災消除、延命の名水として知られている。
功山寺の大楠
功山寺山門横にある大槇で、幹回り3.5m、高さ35m。樹齢は定かでないものの、国宝仏殿の丸柱と同じ年代と見られているそうだ。ということは、1320年頃か。様々な歴史を見てきたのだな、この樹は。
功山寺の桜
旅をした日
2007年04月04日
2009年04月05日
2012年10月29日
………………………………………拝観料金
境内自由
書院・庭園拝観は300円
………………………………………拝観時間
境内自由
書院・庭園9:30~16:30
………………………………………駐車場
有り
………………………………………功山寺の見どころ
紅葉
………………………………………周辺の立ち寄りスポット
壇具川の桜とマガモたち
長府毛利邸の紅葉
覚苑寺の紅葉
長府庭園の花菖蒲と紫陽花
長府庭園の紅葉
………………………………………最新情報更新日
2025/04/11
内容一部変更