萩中央公園の長州緋桜
街の中心にある公園で、大芝生広場やテニスコート等で構成されている萩中央公園。萩城下町からも近いので、中央公園駐車場(有料)は城下町散策に最適な場所になっています。
大芝生広場には長州緋桜が植栽されており、県内では萩以外で見ることができない桜です。

2021年3月はとても暖かく、記録的なペースで桜の開花が進んでいた。

萩市の中央公園の大芝生広場に植えられている長州緋桜(チョウシュウヒザクラ)も3月末にはピークを過ぎつつあった。

ところで、長州緋桜って何ぞ? と思う人も多いかと思うが(自分もそうだった)、山口県では萩市のここにしか咲いてないようだ。

名前由来の説は、藩政時代に江戸の荒川土提にあったとされ、「江戸の長州藩邸の近くにあったから」と云われているそうだ。

濃いピンクの桜でソメイヨシノが散り始める頃に花を咲かせる。 しかも開花期間が異常に短く、「見頃は3日」とも言われているらしい。

例年ならもう少し後の開花なんだろうけど、2021年は記録的な開花だたからね。おかげで桜巡りの旅が追いつかないくらいだった。

珍しい長州緋桜を見に中央公園まで旅をしてみてはいかがかな。

ソメイヨシノは公園西側で満開を迎えていた。本数はそれほど多くはない。

公園内では基本バーベキュー等火気の使用は禁止されているが、山形有朋銅像周辺の集いの広場のみ使用可能になっている。
山形有朋(1838~1922)
安政5年(1858)の21歳の時に松下村塾に入門するも、塾生として学んだ期間はわずか2ヶ月程。文久3年(1863)に高杉晋作が創設した奇兵隊に参加し活躍。晋作が総督を辞任した後は軍監に就任。
戊辰戦争では参謀を務め、奇兵隊を率いて転戦。

明治政府では、初代内務大臣や第3・9代内閣総理大臣、第5代陸軍参謀総長を歴任し、長州閥を形成した。大正11年(1922)没。享年85。

西入口広場には
久坂玄瑞進撃像が建立されている。建立は大河ドラマの
花燃ゆが放送された平成27年(2015)1月。久坂玄瑞没後150年にあたる2014年から製作された。

久坂玄瑞(1840~1864)
藩医の三男として生まれた玄瑞は幼いころから秀才として知られ、藩の医学所・好生館では特待生に選ばれた。しかし医業をあまり好んでいなかった玄瑞は、安政4年(1857)に松下村塾門下生となる。同年12月、
吉田松陰は妹の文を玄瑞に継がせた。
松下村塾では高杉晋作と共に「村塾の双璧」、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一と共に「松門四天王」といわれる。松陰の死後は尊王攘夷派のリーダーとして奔走し、英国公使館焼き討ちや下関戦争などの攘夷活動を実行していく。
元治元年(1864)、前年(文久3年)の政変により長州藩が京都から追放されたことをきっかけに始まった禁門の変。玄瑞は朝廷の命に背くべきではないと兵を引き上げる案を出す慎重派だったが、武力をもっての上京を訴えた来嶋又兵衛(きじままたべえ)が蛤御門で会津藩や薩摩藩と激突。
そのさなか玄瑞は鷹司邸にたどり着き、鷹司輔煕(たかつかさ すけひろ)に朝廷へ嘆願させて欲しいと要請したが輔煕はこれを拒否し鷹司邸を脱出。砲撃で炎上していた鷹司邸内で寺島忠三郎と互いに刺し違えて自刃。享年25。

2021年の異常な暖かさを物語るように、園内ではつつじが見頃を迎えていた。 早咲きのクルメかキリシマだと思うけど、それでも4月中旬から下旬が見頃だよね。

まさか3月末に見られるとは…。

ドウダンツツジも白い花をつけている。こちらは本来4月上旬から5月中旬頃が見頃だ。

指月公園では遅咲きの桜の御衣黄も満開を迎えていたので、とても充実した一日になった♪
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